ヨメになんぞなるか 往ね!

ありゃすまんすまん


今なんか話題になってるこうの史代の『夕凪の町 桜の国』の話。正直なところこのマンガは古本で買いたかった。単純に「価格が高い」というのもあるし、どうもこの手の本でさらに話題になってるとなると、なんか政治色とかアレなものもあるので、購入することでそういうのに何かコミットしちまうのも何だなあと思っていたから(アレというのは、つまりはアレである)。そしてしかし一方であわよくばこの流れに棹/水を差したいというそういう根性もあって、古本待ってたらこりゃ云いそびれちまうよ、ということで買った次第です。


ヒロシマだの原爆だのというのを排除した上でねちねち云えたら、と考えていて実際それはかなりムリがあった。このマンガは読者に「ヒロシマ の共通認識」を(正確にはそれを想起させることを)要求しているので、徹底したフィクションとしては扱えない。別段そう扱う必要もないのであって、普通に読んで楽しめるマンガだった。短いページ数に伏線が沢山出てきてちゃんと解消されるのは上手だな、とか、心理描写が上手だな、とか、構成が上手だな、とか、何より登場人物の悲痛な叫びの描き方が上手だな、とか。その辺は今まで散々云われてきていることなので、手放しで諸手を挙げて傑作と云えるか、というと僕は云えませんというのをちょっと書こうかとも思ったけど、疲れそうなのでやめておく。マンガとしてつっこめるところは少なくないけど、そんなに気にするレベルではないし、そういう態度も得をしないという当たり前のことで。ただこの作品がこうの史代を持ち上げるのは必須なわけで、双葉社が今後どう出るかとか新連載はどうなんだとかこの人気具合がティアでどう反映されるかなとかは楽しみです。得をしない態度。


読みながら恵比寿駅を降りたら真っ黒に白字の街宣車が鳴り響く下で赤い羽根募金の子供が声を張り上げてて、なかなかキレイにはいかないものだと思った。原水禁原水協とか一筋縄の話ではないし、いずれにせよこの作品を読んで声高に何かを云うのも無作法だと。だって、この作品のいいところはまさに主張を強くまくし立てないことなのだから。