思ったこと

ちょっと前までマガジンで短期連載していた『キルウィザード』の特徴の1つに、「タチキリが他の連載に比べて少ない、左右の柱が作品ロゴのみで白い」というのがあった。柱ってのは登場人物紹介やこれまでのあらすじや作者近況が書かれてる余白部分のこと。一般的なタチキリ…ページに上下左右の余白を残さない大コマだけでなく、左ページの左下なんてのはページめくりとの関係でよく柱の余白をきる形で伸びてたりする。とにかく『キルウィザード』は見せゴマが通常の余白部分にまで伸びてくるような演出が少かった。最小限の人物紹介を除き、作品ロゴをあしらった以外は単なる余白になっていた。柱部分は雑誌ロゴや豆知識情報や他の連載の単行本宣伝なども混在するのに、そういうのが一切無いのは結構大事にされていたのかなあと連載当時は思っていたが、この特徴が計算ずくだったのか新人である作者が不慣れだったためかは分からない。ただ、今述べたように柱は本来そこで連載されている作品とは無関係な宣伝が出てくる「外」の部分であり、だからこそ見せ場でタチキリを使うことで読者の視界に「外」がなくなって心理的には作品世界へ入り込んだことになる(各コマが作品世界への窓だとすれば、自室から窓の外の世界を見ていたのに柱の余白という窓枠やサッシが見えなくなることは、窓に首をつっこんだこととイメージできるだろうか)。タチキリの効果を説明しようとすればこんな感じだと思うが、僕が『キルウィザード』を読んでいて非常に落ち着いた印象を受けたのは常に窓枠があって作品世界から1歩距離を置いた状態を保っていたから、となる。マガジンの連載はタチキリしっぱなしの作品も多く、絵柄にもよるがそういうのは正直「うるさい」と感じられることもあったから、これからはタチキリを使わない技術というか見せ場を作るには基本が落ち着いてないといかんよね、しかしそういう節度無くずっと主張が激しいのっていかにもマンガらしいのかもなあ、などと考えた。


といったことをこの前の会誌で書こうかと思ってマガジンを6週ほど購読していたんだけど、結局時間無くて書けなかったのでここに残しといてマガジンをゴミに出せる。付け加えとくと意外にもマガジンで1番タチキリに節度を守っているのは『はじめの一歩』で、これはやはり長いキャリアのなせる技か描き方の根本が古臭いのか…と思った。雑誌で読んでいて一歩がそれほど余白あるように感じないのはむしろ余白を潰すように柱に豆知識やらあらすじやらが詰め込まれているためで、だから僕は持ってないけど単行本で読むときと雑誌での一歩は少し印象が違うんじゃないかな。