たまには一般書籍の感想。

  • 長谷敏司『あなたのための物語』(早川書房 ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)
    • 長谷敏司ファンとしてはid:electroさんが読了する前に今日書いておかねば、と考えていたが、一歩遅かた。
    • 脳科学が発達した近未来、「ITP(Image Transfer Protocol)」の開発により、脳の活動全体は電子データとして扱える段階にきている時代。意識や感情や人格というものが explicit な形を与えられ複製可能になったときに、また同時に意識活動のストップが肉体の死から完全に独立したときに、個体の死の本質はどのように抽出されるのか? みたいな話。ちょっとズレてるかな。
    • やりようによっては色んな人格をインストールして超人跋扈するワンダフルな捕物活劇になったかもしれないけど、思弁全開の小説です。ヒロインと人工知能(コンピュータ上に脳神経回路を組み立てて生成された人格)の対話が、体感的には全体の半分以上を占めてる。エンタテイメント性はかなり抑えられてるので、理性でがんじがらめになったヒロインにも多少同調できるという人にお薦め。あと全編を通じて冷徹な作風の中で、生々しいスカトロ描写にときめける人にもお薦め。発売日を知ってタイトル見た時は「すごい大上段キタ! これは刮目必至! 長谷先生のキャリアを塗り替えるに違いない!」と超期待してたんですが、読み始めたら、もうそんなはしゃいでてすんません、真剣に読むんで許してください・・・ という気分になった。
    • 概念説明が色々出てきて分かりづらいのは長谷先生だなあ。読み返してみると人工人格の思考の方向性や、ITPによる人格改ざんの描写とその影響なんかは考え込まれてて面白いんだけど、それ以上に死を常に意識して読ませるから、とにかく重い。相当な難産であったことが伺える。が、読者にはあまり関係ないのでこれからも燃え尽きることなく色んな作品を書いていって欲しいです。緑虫さんは『円環少女』読んでラノベに入るといいと思います。
    / ̄ ̄ ̄ ̄\      言っておくけど俺はイケテル捜査官だよ。
   (  人____)     多分、俺に実際に会ったら、君らは俺を
    |ミ/  ー◎-◎-)    チェキスト(秘密警察)とは思わないだろうね。
   (6     (_ _) )   俺の友人はけっこう過去の罪に苛まれてる奴ばっかだし、
  _| ∴ ノ  3 ノ    俺もちょっと検挙しまくったっぽいかもな。
 (__/\_____ノ     娘は養子だけど、毎晩ナイフ片手に枕元に立ってくる。
 / (   ||      ||     職場は、最近流行のKGBとは一味
[]__| |WALT  ヽ    違ってて、独自のモスクワ殺人課を作ってるぜ!
|[] |__|______)   まあ、国家に盲従してきただけの保身馬鹿と
 \_(__)三三三[□]三)   一緒くたにされて粛清されそうなわけだ。
  /(_)\:::::::::::::::::::::::|   特殊任務で収容所に入ってみると、
 |Sofmap|::::::::/:::::::/    昔密告した奴に、拷問をやり返されられたりするしな。
 (_____):::::/::::::/     贖罪という名のリンチみたいな感じだ。
     (___[]_[]    身から出た錆とも言うかな?
    • 「グラーグ57」とは作中に出てくる収容所の名称なんですが、原題は“The Secret Speech”でした。つーかこの単行本の中で収容所が舞台になってるのって全体の2割くらい。3部作の予定らしいが、次回作の邦題もきっと無理矢理ナンバー付けるんだろうなあ。内容は、読み手を引きずり込む語り口に魅せられっぱなし。放送作家ってすごい。人物視点が変わるたびに、この人死亡フラグなんじゃないかと怖くて仕方がない。
    • どうでもいいが、「トム・ロブ・スミス」って向こうでは「佐藤武史浩史」みたいな語感なんではないかと想像するんですが、そんなことないかしら。
  • 妹尾ゆふ子『翼の帰る処』上下巻(幻冬舎 幻狼ファンタジアノベルス)
    • 現行既刊の第2巻まで読了。就活は地方公務員、田舎暮らしで仕事も無く薄給マターリで若隠居が目標という枯れ切った主人公が、左遷先の厳しい北の大地で持ち前の虚弱さを発揮して臨死体験をしながら、土民たちに地方自治のあり方を優しく説いていく話。という最初の30ページを過ぎると、更にやんちゃ皇女様が県知事としてやってきて、ガキのお守りに手を焼くわ土民達と衝突するわ帝都の民主政権交代の余波でキナ臭いわ、誰だよ公務員は残業が無いって言った奴は出てこいよ、てな感じで物語が動き始める。
    • ある日突然ヒロインが押しかけてきて、平凡な過去視の能力者*1だった主人公が次期皇帝の座を巡る争いに否応無しに・・・。悪意ある色眼鏡で見ればいわゆる「巻き込まれ型」の話だが、一足飛びに成り上がっていくのではなく、北嶺の太守副官としての仕事をしていく中で徐々に事件が浮かびあがっていくつくりが上手い。控えめな文章が非常に心地よく、すんなり胸に落ちてくる。冷たく澄んだ空気を呼吸しているような感覚が、物語世界とよく合っている。ラブだって病弱男性と男勝り少女という美味しすぎる取り合わせだけど、4冊かけて間柄が全然変化しない健全さがたまらないぜ。
    • 難をいえば主人公が脆弱なために手に汗握るバトルシーンと相性が悪く、クライマックスでは気絶して暗転するのでここぞという盛り上がりには欠ける。どの箇所に見せ場がある、というのではなく全体的に抑制の利いた雰囲気でどこから切っても安心して没入できるのが、ハマるとかなり癒される小説でした。寡作な人のようだが既刊も読んでいきたい。

*1:非常に長いタイムスパンをカバーするが発動後に漏れなく失神するムーディ・ブルース