• 生誕130年 川瀬巴水展 —郷愁の日本風景@千葉市美術館
    • 江戸博の大浮世絵展で新版画はもう少し見てみたいなと思い、折りよく開催していたので夕方からのTMR飲みの前に行った。
    • 川瀬巴水木版画制作を始めた35歳から亡くなるまでの40年間の木版画作品・写生帖284点の回顧展。日本各地の風景を切り取った作風は「昭和の広重」というコピーが頷ける。グラデーションで遠くに薄れていく空、風に舞う一滴一滴の降る音が聞こえそうなくらいリアルに彫られた雨や雪、特に水面に映る月・明かりが波間に揺らめく様子は幾層にも積み重なった色彩が絡み合い、非常に美しい光景だった。一番好きなのは《清洲橋》。空と海が橋で二分される構図、橋のがっしりした鉄骨とその下で波立つ川面の繊細さ、橋が落とす影と反射光の描写、街灯と船の篝火との違いとか諸々が格好いい。
    • 木版技術の粋が詰まった木版画を大量に鑑賞してると思うところもいろいろ出てくる。ひとつは物体の輪郭を表現する手立てが版画は弱いんじゃなかろうか、ということ。石垣の石組みが妙にすっきりしててプラモデルみたいに見えたり、地面・水面との境界線を眺めてもどちらがどちらに入り込んでいるのか(地面に埋まる形で下から石垣が伸びているのか、地面の上に石が積み重なっているのか)が分からないことがあった。ドット絵RPGでマップチップの建物を設置した後、接地境界に草を生やして違和感を消す、みたいなテクが先入観にあるのかも。
    • それと波間に揺れる月の描写は複雑に色層が乱れて印象的なんだが、二層が混ざるということは無くてくっきりと個別の色の判別がある。ある瞬間のさざ波の形が固定化された結果として確定する月の鏡像といった感じで、写真的な趣がある。写真と違うのは色層が離散化している点で、ある意味デジタル処理がされた感じなんだけど、でもデジタルといっても点描画のようなランダムネス・抽象化された物体輪郭って訳でもないし、ドット絵のピクセルがある訳でもないし、特に網膜上の視覚混合が起こる訳でもないし……みたいなよく分からん。ていうか身も蓋も無い言い方をすると、わたせせいぞうなんだよね。
    • デジタル化された景色という意味では色ごとのパーツがカチッと分かれた絵は個人的に凄くしっくり来るものがあって、《上野清水堂》(展示されてた版画はもう少し桜がピンク)なんかは各色が分離されてちょっと現実感が薄れてるのがいいなと思った。風景画として絵になる景色が多い中、《駿河興津町》なんかは下手な風情が無くて匿名性が比較的強いのも面白い。
    • 展示には試摺として配色や一部の絵を変えたバージョンの比較もあった。薄暗い青空が夕焼けになったり山肌の岩の色が変わったりという比較を見ていると、木版画というのはまさしくフォトショでいうところの分割レイヤー塗り分けなんだなあと思わざるを得ない。同じ主線の絵から配色が変わるのは刻々と変化する風景そのものとも言えるが、効果的な色合いを探求して創作された架空の景色という印象がどうしても強くなる。企画名称の「郷愁の日本風景」というのはまさに幻想みたいな。この辺は商業流通が前提の木版画としては当然の帰結だろうし、むしろ試摺での違いをちゃんと見せてくれた展示は親切だった。ワイも風景画には幻を求めとるでよ。
    • ただ消費者側のニーズを感じながら展示を眺めていくと、どうしても同じモチーフ、同じ表現効果、それらのバリエーションパターンの連続に食傷気味にはなる。雨・雪が降っている/いない→風が強い/弱い→水面に月がある/窓明かりがある、という。《駒形河岸》《深川上の橋》のように木版画を手がけるようになった初期の作品は変な構図もあるけど、キャリア後半にはそうした面白みは全く無かった。動物や鳥がフォーカスされることもない、ひたすら天気と建物と月と花と水面、という作風はどうにも限界を感じる。部屋に一点飾るにはいいのだが、この人は良くも悪くも風景専門の職業画家だったんだなと若干寂しくもあり。