今日知られている数の性質は、

大部分が観察によって明るみに出たのであり、それが真実であることが厳密な証明によって確かめられるよりずっと前に分かっていたのである。   オイラー


超有名な数学入門書『オイラーの贈り物』の第一章初めにある引用文。大学に入って時間も経った今の時期にこの本を参照するとは思ってなかったが、実験の予習でフーリエ級数を書けと云われて困ってしまったので・・・。僕はこのオイラーの科白を座右の銘にしたいくらい気に入ってます。天から啓示が降りてくるわけではなく、全ての定理は指向性のある実験と錯誤の中から一種の直感を伴って予想されるものです。直感というのは雑然とした実験データの中から「いかにもありそうな」性質も見抜くことであって、その「いかにもありそうな」を想像するときの判定基準が結局審美性として出てくる(というか、複雑怪奇な関係性は想像出来ない)ので「数学は美しい」とかなっちゃうんであって、数学は美しいかもしれないけどある意味美しい部分だけを発展させてきたのが数学というか、最初から美しそうなものに的を絞って追っているので結果が美しいのは必然とも云えるわけであって。数学はシンプルだから美しいというのは、裏を返せばシンプルなものしか分かりませんと云ってるのと同じなんです。何が云いたいかというとそういったプロセスを抜きにして定理を紹介されても天下りでしかないのでその美しさも実感が伴わないわけです。と、よく思う。


舞城の『暗闇の中で子供』を読み終わった。感想とか凄いしづらいんだが、例えばメフィスト賞獲りたい奴がこの作品の手法を真似したときに、選考委員は果たして「君はあれだね、舞城のコピーだろ。ダメだよ彼と違って君にはこの手法は荷が重いね」と云い切れるんだろうか。「君の小説には文圧が全然足りない」くらいの返答しかできないってことはないんだろうな。1人語りが僕には多すぎてイライラした、くらいしかありません。と思ったが何、TWO〜THREEの間で矛盾?池の名前?(←ネタバレ)めんどくせーことする奴だな。あんま調子のんなよ?とか。でも前作でなんか見落としがあるんなら癪なんで今度てんくさ君に訊こう。つーかこれ読んで物語と作者と事実の関係とか考え出すのは最高に脳が莫迦だと断言しますよ。あと太田とかいう編集で延期してるんなら意味が分かりませんよね。アレか。新しく書体でも作ってんのか。調子乗りすぎ。


鈴木有布子の2冊目『罪と罰』を読んだんですが、いやーもったいないなあ。1作目を読んでなきゃ処分するところなんだが。ハックルベリーで連載とか気が遠くなるのでもっと日常モノでコツコツしてるのを読みたい。つーか『旬』の担当編集が『パセリ』と同じ人じゃねーのと思い始めて悶々としてます。