ポストモダン的でデータベース的な欲望に見えてしまう

生協書籍部に置いてあった『UP』12月号で長谷正人が「映画、時間、小津」という短期連載(コラム?)を始めたみたいなんだが、これがとてもいいと思った。小津映画1つも見たこともないし蓮實の『監督小津安二郎』だって全く読んでないが、その著作に対する見解と自論とがとても分かりやすく語られてて楽しめた。連載初回の話をまとめると、「蓮實ー、あんた主題論的な分析ばっかやけどねー、そんなん全部わかんの記憶力のいいあんただけやってねー、せなことばっかやっとるで映画体験の豊かさを無視しとんねー、もっと時間軸に沿った時間感覚の豊かな物語として分析せんとねー」というコトか。作品を享受する側が複数のことがらを同時並行で見ていくことは原理的に不可能である、というのは表現において僕の直感だとかなりでかいテーマで、それを近似的に乗り越えるべく使われてる主な手法が反復だろうことはまあ多分今更。物語なら場面や言い回しや構図の反復、音楽なら主旋律(主題)の反復、で、今そういう手法に一番強いのがサウンドノベルゲーの○周目、という形なんじゃないかといつも思う。だって俺が好きなノベルゲーは全部その手の演出がしてるからね。ひぐらしだってまあそうかもしんない。近似的な同時進行を作り出すにはちょくちょく視点を入れ替えて長い2つのシナリオをほぼ並行で進行させるか、一周の時間が短いシナリオを何度も繰り返させるかの2つが本質的ではないか。後者は例えば歌月十夜で、プレイしてないけどEVER17とか前者でしょ?  もっとも長谷正人が広義的に言っているのはそっちの側面ばっかに気を取られず物語は物語としてもっと素直に行こうぜ、 ホント メタ分析は地獄だぜ! フゥハハハーハァー ということなんだが。何にせよタイトルだけ見るとちょっと動物的なカンジもあって面白そうです。いや、そっちはもう昔読んだきりだから違うかもしれないけど。


スピリッツの新連載。結構気合いれて売り出してる感じがする。でもインパクトは狙い通りか十分だけど1話目にしてはストーリーがあまり進まなかった。折角だからもう少しページ割けばいいのに、とか。


ジャンプの読みきり。描きたいものが明確で古臭い絵も自分のものにしてていいと思った。ストーリーが今一歩だと思った。俺はストーリー気にしすぎなんだろうか。