昨日の会合後、皆でリニューアルした渋谷のカレー屋、リトルポット(?あやふや)で食事。割とうまかった。朝起きたら左目の奥が圧迫されてるような頭痛を感じて、一度は覚醒するも3時間寝込む。思うに、カレーに入ってた化調が血中に溶けまくって、分解に時間がかかったんだろう。そういうわけであそこはもう僕はいかないぜ・・・・


やごさんの『美少女ゲームの臨界点+1』の、腐り姫んところを読ませてもらった。「このゲームでは攻略してエンディングを迎えたキャラは「赤き雪」になって後には腐った抜け殻だけが残る。次のループで主人公が出会うとき、彼女らは血の通わぬ希薄な存在となって主人公を落胆させる。この設定はまさに複数のキャラをとっかえひっかえ攻略していくという美少女ゲームの薄情な側面を皮肉ったものであり、その事実を突きつけられたプレイヤーは≒主人公として最終的に自分と同じ存在である腐り姫蔵女を求めていくがそこで迎える結末はうんだらかんだら」というのが主旨だったと思う。んー、本当にそういう意図がしっかり読み取れるゲームだったらそりゃあ僕も喜んだかもしんないが、ちょっとそれは強引すぎるんじゃ? 「腐った抜け殻」になる前後で印象差がはっきり描かれているのは夏生だけで、その描写を読むと確かにそういう推察をしたくなるんだけど、他のキャラではよく分からなかった。そもそも立ち絵が最初から灰色基調なこともあって、上記の解釈をソフトが提示してるかどうか曖昧なんだよな・・・・


とか、エロゲー考察文の考察するのも変なんだが、書き手のゲームに対する愛情ばっかりが伝わってきていて、どうにも独りよがりに読めた。「俺はこのゲームが大好きなんだ!」というのが原動力なのは真っ当なことだと思うけど、その愛情を押し隠してメタがどうのとこねくり回しているのはいただけないっす。「潤たんのワキハァハァ」とか大っぴらに云えないのは歳とかが許さないのだろうか。そのへんを踏まえると、いい大人が評論の形でゲームに大して歪んだ愛情表現をした、要するに洒落の効いたSS集というのが本質じゃねーかとも思ったよ。


今、「2日でマスターする量子論」というのを実践中。明日あさってしあさっては「1日で単位が取れる電磁気・構造化学・振動波動」を実践する予定です。体現できたらなんか下さい。チョコとか。量子論不確定性原理まで到達しました。内容は追っていけるが地に足が着いてない感覚はとても爽快で不安です。それにしても必死に勉強するっていいものですね。この気分がずっと保てたらねぇ。