「全て買ってから考える」スタンスの人がシュリンクの有無を議論するという説得力に釣られる。


シュリンクの有無と立ち読みって書店も出版社も色々考えてると思うんですよ。まんがの森の小規模店とか、小学館ビッグコミックの単行本帯とか、ラポート地雷のジャケ買い狙いとか、付録付き雑誌への変更とか、見本誌専用のクリアカバーとか。ただどれも「単行本はシュリンクされている」ことを前提としてるので、今あえて「ノーモアシュリンク」って言うのは意味あるよなと。でも難しい。「単行本これとこれとこれが気になるので中身ちょっと確認したいんですけど」「はい、どうぞ」「どれどれ・・・あ、やっぱつまんないやこれ買いません全部戻しといて」というやり取りする勇気があれば、立ち読みする不逞の輩を押しのけるのなんてちょろい筈なんだが。こんな理想的な客が何人もいたらそれこそ人手を食うし番子さんだってうざいだろう。極論ですが。雑誌の立ち読みから単行本の内容にアプローチするっていうのが最もグレーで容認されてる(誰に?)解決策だとは思う。よく夢想するのが、日本雑誌協会にでも毎月会費払う代わりに書店の全ての雑誌をその場で読める制度。文教堂辺りがやってくれないかなあ。


活字本・マンガ・CDの3つとそれぞれの立ち読み・試聴の違いは、ちょっと考えると媒体の特徴が出てて面白いね。


「読んでから考えたらほとんど買わないから」というのはぶっちゃけすぎてて流石。そこまで分かっていながら・・・自分がひねくれてるだけかもしれないが、そのスタンスを貫くことが既に目的化しかけて面白くなっている感じ。スタージョンの法則。酷評によって潜在的な購買層を奪っている可能性もあるよね。つーか、今は表紙すら見ずにもネット評判で買えば画像もあるしほとんどの人にとって安牌ですよねい。